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教育目標

本校の教育目標は次に掲げるとおりです。
その精神は校訓の「さとく あかるく たくましく」に要約されています。

教育基本法の精神にのっとり、国家及び社会の有為な形成者として、
 ア 未来を洞察する高い知性
 イ 明るく、豊かな心情
 ウ 困難に耐え抜くたくましい身体
を兼ね備えた青年の育成を期する。

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校訓

さとく あかるく たくましく

校訓設定のいきさつ(初代校長・長谷川勇夫先生)

 もともと教育の意味するところは,「教」の漢字発生の原点に示されている。 即ち,「××な未完成な子供を鞭打って励ます行為」を言うのである。つまり,「外部から意図的に働きかけて,望ましい姿に変化させ,その人本来の価値を実現させる活動」にあると思う。ここにいう望ましい姿に変化させる過程に,知育ばかりでなく,道徳,体育の重要性が叫ばれているのである。

 聡明とは,耳と目が鋭敏であることから,さとく,道理に通達することである,と広辞苑にある。立派な人間らしい人間になるためには,どうしても聡明でなくてはならない。しかし,博学多識だけの人間では聡明とは言えない。

 内村鑑三氏は『後世への最大遺物』の中で,学問的な知識の向上だけでなく,もう一つ次元の高い立場から自己をみつめ,人生を正しく考え,「勇ましい高尚な生涯を志す人間」をめざせと述べている。刹那のよろこび,悲しみに追われ,小さなことばかりにくよくよする,そんな小粒な人間になってはならない。人生を論じ,自分なりの,納得のいく生活をする姿勢,目標とする人間像を求め,怠らず努め人間でなくてはならない。未来を洞察する高い知性の持ち主でありたい。このようなもろもろの願いをこめて,校訓の第一番目には,「さとく」あれと,強調されているのである。

 自分さえよければ,他人はどうでもよい,と考えるような人間では,やがて自分自身不幸になる。どんなに恵まれた環境の人でも,愚痴の多い人は不幸である。人の心を本当に満たしてくれるものは,その人の心のあり方にある。気の毒な人をみたら素直に同情し,手をさしのべるだけの心の豊かさがほしい。心に太陽をもち,明るく生き生きと,しかも,感謝の気持ちを忘れない。そんな人間をめざしたい。そのような願いをこめて,校訓の第二番目には,「あかるく」あれと,強調されているのである。

 人生は勝負の世界でもある。その人が成功するか否かは,最後は気力と体力である。如何に「さとく」「あかるい」人間であっても,身体が弱く,気力のない人間では,到底望みを果たすことは出来ない。粘り強く,忍耐強く,思ったことはどこまでもやり抜く強い精神力と,それを押し通すだけの強い体力の持ち主でありたい。このような願いをこめて,校訓の第三番目には,「たくましく」あれと,強調されているのである。

 以上三つを要約し,校訓「さとく あかるく たくましく」は定められている。この校訓を飾り文句にしてはならない。玄関前に校訓碑をすえ,校歌の中にも校訓を歌詞としてとり入れてある。校訓を本校教育の芯として,青春の心に火をつけられんことを願ってやまない。

(校誌『青雲』創刊号より)

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